旦来八幡神社について
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旦来八幡神社は
且来八幡神社とも 記されます
(旦→且)
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平成の大改修で一段と壮麗な姿になった社殿。
ここで旦来八幡神社の沿革を紐解いてみましょう。
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旦来八幡神社宮司 山本 哲
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御由緒 |
- 神功皇后は三韓から凱旋されるにあたり、皇子(応仁天皇)とともに、当地に立ち寄られた。
- ときの行宮跡が当神社となった、という伝承がある。
- 「旦来」という地名も、皇后が「あした(旦)来よう」と約束し、都に帰られたことによるという。
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中世の
旦来八幡神社 |
- 社蔵の古文書には、正平9(1354)年の畠山尾張守の寄進状以下、43通の田畑寄進状があり、中世にはすでに当旦来荘の鎮守であった。
- 当時は広大な神領と40もの末社を擁し、代々の武将や領主の深い信仰をを集め、
ひときわ威光をを放っていた。
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旦来八幡神社と
根来衆 |
- 正平8(1353)年、根来寺の暴徒が乱入し、剣、弓、矢、御筆の法華経等の宝物、細川・石堂ら諸大名からの土地寄進状、その他神主の私物に至るまで、一切が奪われた。
- このため、鎮座年代については記録がなく、不詳である。
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社殿について |
- この社殿の建立年次を明示する史料はないが、様式・技法より見て桃山時代、16世紀終わりの建立と思われる。
- その後の沿革も明確さを欠くが、形の整った彫刻など、ほぼ建立当時の部材および形態を保っている。
- 社殿は、桃山期の様式を示す貴重な遺構で、和歌山県の指定文化財である。
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現在の
旦来八幡神社 |
- 社殿は、平成の大改修により、檜皮葺屋根で色鮮やかな彩色をもつ、一段と壮麗なものとなった。
- 現在も農業・学問・武芸・交通等の守護神として、尊崇される。当神社の大祭渡御は、毎年10月の第2日曜日、古風かつ盛大に行われる。
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